大分県の石の歴史を知ると、お墓の見え方が変わる👀
更新日2026年06月20日
こんにちは。
安東石材店の髙橋です🌷
入社してからあっという間の日々を過ごしています。
これまで全く別の職種に就いていた私は、毎日が新しいことばかり!
そんな中で、、、「石材店とは?石材とは?そもそも石の歴史とは?」と、思いを巡らせることが増えてきました。。
そこで、今回は【大分県の石の歴史と石材店が守り続ける伝統】についてお話したいと思います!
大分は石の歴史が眠る土地
大分県における石材の歴史は、単に「石材店の歴史」を超え、中世からの「石造美術」と「土木技術」の蓄積という非常に深い背景を持っています。
「石仏」から始まった石文化
大分県は全国有数の【石の文化圏】です!
鎌倉~南北朝時代、国東半島を中心とした六郷満山文化の影響で、独自の「国東塔」が数多く造られました。
この時代に「石工(いしく)」という専門職が誕生し系譜が形成されたそうです。
また、臼杵石仏に代表されるように、凝灰岩(やわらかく加工しやすい石)を彫る技術が古くから磨かれてきました。
これが後の墓石制作や石塔制作の土台となっています。
「石橋王国」を支えた土木技術
大分県は熊本と並んで「石橋王国」として知られています。
江戸時代、長崎から伝わったアーチ式の眼鏡橋の技術が、地元の石工たちによって県内各地(院内、耶馬渓、竹田など)へ広まりました。
当時の石工たちは、橋や石垣を造る土木技術と、墓石や灯籠を彫る彫刻技術の両方を持っていました。
明治・大正時代に掛けて、こうした伝統を持つ職人たちが現代の石材店の前身となっていった経緯があります。

時代とともに変わる役割
明治~昭和:石橋の需要から、墓石・記念碑・鳥居などの個人向け需要に変化
現代:石材の輸入(御影石など)により、加工の効率化が進みましたが、一方で「手彫りの温かみ」や「伝統的な書体(隷書など)」へのこだわりという、古い技術の継承が石材店の個性になっています。

このように、調べていくと「石材店」は単なる小売店ではなく、「地域の石文化を継承する守り手」であり、私たちが扱っている墓石の技術は、かつて地域で石橋や石塔を造っていた職人たちの技の延長線上にあることを感じます。
安東石材店では石材に関する業務だけでなく、地域に貢献することをとても大切にしています。
【持っている知識や技術を、現代から次の世代へ継承していける】そんな石材店でありたいなと思いました。
分からないこと、不安なこと、気になること、、、いつでも安東石材店にお問合わせください😊🌷
















