縄文時代ってどんなお墓だったの?
更新日2023年11月07日
こんにちは。
イシヤノヨメこと安東一美です。
今日のテーマは縄文時代のお墓について。
縄文時代のお墓はどんなお墓だったのでしょう。
縄文人のお墓
縄文時代のお墓といえば
青森県の山内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)が有名です。
遺跡からは大量の縄文土器や遺構と、道の両側に土壙墓(どこうぼ)といい、
地面に楕円形の穴を掘り、そこにご遺体を埋めるという形のお墓が見つかりました。
15mの道幅の両側の斜面に向き合って二列に並ぶ土壙墓が約100基見つかり、
この道はなんと500mほど続き、海まで続いていたと推測されるそうです。
この道はお墓まいりだけでなく、「海の幸」や交易などの生活必需品の運搬、
大がかりな作業など様々なことに使われた「ライフライン」だったようです。
死者とともに日常の生活を暮らしていたことを考えると、死者を生きている人と同じ親しみをもって、あるいはそれ以上に大切にしていたと考えられるようです。
「死者を人々の心の拠り所、精神的な支えとしていた」かもしれません。
それは今でも変わりませんね。
お墓はやはり、亡くなられた人を大切に供養し、生かされている者が心の拠り所とするものという
日本の文化なのかもしれませんね。