大分市で墓地をお探しの方必見です!

こんにちは、清家です。

大分市が管理と運営している墓地ということで、

とても人気のある大分市営墓地の募集が始まりました。

募集期間や申し込み出来る方の条件などに決まりがありますので、

今回は大分市営墓地の募集について詳しくご紹介してきます。

 

1.募集する墓地

丸山墓地公園
A地区 7.5平方メートル使用料975,000円...募集1区画
C地区 4.0平方メートル使用料520,000円...募集10区画


JR日豊本線「大分駅」より車で約15分、大分自動車道「大分IC」より車で約10分とアクセスも良く、園内は大変きれいに整備されていますので、気持ちよくお参りできます。

 

西浜墓地
3.24平方メートル使用料324,000円...募集4区画

大分市大字鶴崎にある墓地です。
JR鶴崎駅から徒歩8分ほどの距離にある人気エリアです。

2. 申込み条件と資格

申込み資格にはいくつか条件があります。
①使用許可申請書提出日の3ケ月前から引き続き大分市内に住所を有する方
②お墓の祭祀(さいし)を主宰(しゅさい)する方
祭祀を主宰する方…難しい言葉ですよね。簡単にいうとご家族のお墓を引き継いで管理する人のことです💡
③同一世帯員が市営墓地の使用許可、市営納骨堂直接参拝檀を受けていない方
④すでにお骨がお手元にある方、またはお寺に納骨している方(分骨は該当しません)
⑤使用許可を受けた日から、3年以内にお墓を建てることができる方


3. 申込み期間と方法


申込期間は令和5年12月13日(水曜日)から令和6年1月19日(金曜日)まで。
申込書は大分市衛生課で配布されています。1世帯につき1区画の応募が可能で、衛生課の窓口での受け付けや郵送が可能です。

なお、郵送の場合は令和6年1月19日(金曜日)必着です。

 

4. 当選者の決定方法


同じ区画への応募者が複数いる場合は抽選が行われ(令和6年1月24日水曜)希望順に当選者と補欠者が決定されます。

当選通知書が届いたら、手続きを進めるための準備を整えましょう。

5. 墓地使用許可手続き


当選者には通知書が送られ、墓地使用許可申請書等の提出が求められます。使用料納付書も同封され、期限内に料金の納付が必要です。

市営墓地の募集について詳細な情報は大分市保健所衛生課(536-2854)に問い合わせるか、大分市のホームページをご確認ください。

大分市/市営墓地空き区画の使用希望者を募集します (city.oita.oita.jp)

 


大分市で墓地をお探しの方は今が絶好の機会だと思います。

募集は令和6年1月19日までなので、年末年始にご家族が揃った時などに皆様でご相談されてみてはいかかがでしょうか 。

当選された際にはぜひ、安東石材店へお墓づくりをご用命ください☺

 

おせちの由来知ってますか?

  1. こんにちは。

安東石材店の溝江です。

7月から入社して、あっという間に半年が過ぎました。日々新しい事を学び、知識を増やすべく頑張っています。

今年もあとわずかということで、今回は新年に頂く

「おせち」の由来についてお話しします。

 

なぜ「おせち」ていうの?

「おせち」ってなんで「おせち」というのだろう?と考えたことはありませんか?

おせちとは季節の節目に当たる「節(せち)」の日を指す言葉で、漢字で書くと「御節」と書くんです。

正月を含む五つの節に「御節会(おせちえ)」の儀式を行い、特別な料理である「御節供(おせちく)」を神に供えていたそうです。

 

 
そして、庶民の間にも民間行事として広まり
五節句のうち新年を迎える最も重要な日の節句の料理が、
正月料理として定着しました。

 

 

この「御節供(おせちく)」がおせちの語源と言われています。

 

いつからおせちと呼ばれるようになったの?

おせち料理は、江戸時代末期には現代のものに近い形になり「食積(くいつみ)」と呼ばれていました。
「おせち」と呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦後、デパートで重箱入りのおせちが売り出されるようになり、
そこで「おせち」という名称で売り出されたことが、
広く一般的に「おせち」と呼ばれるようになったきっかけといわれています。

 

おせち料理の定番食材に込められた意味

おせち料理は、それぞれ意味があり、健康や長寿などの願いが込められています。

昔から食べ継がれている特別な料理「御節供」

日本の伝統的な食文化を大切にしていきたいものです。今年はぜひ、地域や家庭に伝わるおせちを知って作ったり、食べたりしてみてはいかがでしょうか😊

 

 

 

 

 

環境整備でペンキ塗り

こんにちは。

安東石材店、工藤です。

今回は、前々から気になっていた展示場のプレートディスプレイのさび落とし&ペンキ塗りをしました。

年期の入ったディスプレイ棚は錆だらけでまずは錆を落とすことから・・・

上の方なんて錆びだらけでした。

プレートを全部外して磨いて錆を落とし、ペンキを塗りました。

気分は職人です!(^^)!

外したプレートも高圧洗浄機で洗います。

実はコケだらけ💦

棚もプレートも乾いたら、完成。

見違えるほどキレイになりました。

大満足の仕上がりです。

もうすぐ年が明け、新しい年になりますね。

年末お墓のお掃除に行かれる方も多いと思います。

お墓のお掃除は基本水洗いです。こまめにすれば汚れもたまらないので、

いつまでもきれいな石の状態が保てると思います。

でもなかなかこまめにお掃除ができない方は家庭用の高圧洗浄機もおすすめです。

彫りこんだ字の汚れが簡単に奇麗になりますよ(^-^)

 

 

弥生時代のお墓はどんなお墓?

こんにちは。

「イシヤノヨメ」こと安東一美です。

前回は縄文時代のお墓についてお話ししましたが、今回は弥生時代のお墓です。

弥生時代のお墓

 

弥生時代のお墓といえば、佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」が有名です。

この集落は約30ヘクタール(500メートル×600メートルが30ヘクタール)もあり、

もしかすると、「邪馬台国」だったのではないかと言われるほどです。

 

 

さて、弥生時代のお墓も先日の縄文時代のお墓と同様、集落の北には出入口と道があり、お墓の横から列状の埋葬地を通って居住区へと続いています。

「死者を大切にし、生きている人と共に暮らした」形跡が認められるそうです。

 

そして、縄文時代と違うのは「副葬品」がたくさん出土しているという点です。

現代でも少し前までは、棺桶に六文銭を入れ、亡くなった人に手甲(てっこう)・脚絆(きゃはん)・杖・わらじを持たせて旅装束にしていたそうですが、亡くなった人が「冥途の旅」をすると信じていたと言われています。

副葬品がたくさん出土したのは、弥生人にもそういった気持ちがあり、一緒に埋葬したのではないかと言われています。

さて、北九州一帯からは特有の埋葬法である「甕棺(かめかん)」が2,000基以上も出土しており、小児用の甕棺も見つかっています。

甕棺のルーツは中国大陸にあり、「二次葬」とか「複葬」と言われ、いったんお骨にして、改めて甕棺にご納骨したそうです。

こうしてお墓のルーツを探ると、やはり一生懸命生きてきた人に今一番の出来る供養を。と思う気持ちは変わらないのだと思うのでした。